自分が好きな、または興味ある情報しか取りに行かない
現代っ子はテレビを見ません、ラジオも聞きません、本や新聞も読みません。情報はすべて“スマートフォン、タブレット、パソコン”から入手します。それも自分自身が好きな(興味ある)モノやコトのみ。
ウチの娘もそうですが、住んでいる県で山火事が起こっているニュース、ETCの不具合で1日以上、高速道路で渋滞が解消されていないニュースなどを知っていません。
「たまには自分の興味ないことでもニュースを見ろよ」と言っても、その時はうんうんと言っていても実際は見向きもしていません。
こんな状態では、ヘタすると命を落とすことにもなりかねません。
例:熊が近所の住宅に侵入した、殺人した変質者が近所をウロウロしていてまだ捕まっていない等のニュースを知らないetc.
“スマホ一台持っていれば万能”感の弊害
・電話とメール機能あり
・電車の乗り換え、バスやフェリーの時刻表あり
・キャッシュレス決済だから財布を持ち歩く必要なし
・カメラとハンディーカムを一台で使える
・辞書を持ち歩かなくても、これが翻訳機
メリットは上記以外にもまだまだたくさんあるでしょう。
しかし、裏返せば…
このスマホを落としたり、紛失したりするとそれらのことすべてができません。
動画配信やネットゲームの弊害
私は、ネットゲームは将棋しかしたことがありませんが、動画配信は4年ほどの間に数種類、楽しみました。“楽しみました”と断言しているからには“痛い目には運良く会っていない”ということです。
先日のニュースで、動画配信していた若い女性ライバーが刺殺された痛ましい事件がありましたが、これは氷山の一角です。私自身、やっていたからわかるのですが予備軍がたくさん居ます。結局は“非接触のキャバクラ”ですからね。そこに毎晩、数百万円を投げ銭する連中もいるのです、現実に。彼らの中で、本当に余剰のおカネが有り余るほど有って“アソビ”として楽しんでいる人はほんの一握りです。あとは「ガチ恋になって借金して課金」がお決まりのパターン。数百万円の借金をした挙句、“彼女”にブロックされた日には、そりゃあ殺意も湧くでしょう。殺意までとはいかなくても精神的になにがしかの弊害はもたらすのは間違いありません。
はたして「使う人の資質の問題」だろうか?
ところで、この手の議論をすると必ず出てくるのが「ネットやアプリはあくまでも道具であり、それを使う人の資質の問題」という論調です。しかし、これは気を付けなければいけません。
調理器具の包丁がよく例として用いられますよね。調理に使えば便利で美味しい料理を作ることができる道具だけど、ひとたびケンカなどで取り出すと“殺人のための凶器”になってしまう代物(しろもの)だと。自動車もそうですね。普通に使えば楽しく便利な乗り物ですが、飲酒運転などイレギュラーな使い方をすると“殺人マシン”へと早変わり。
しかし、ネットゲームや動画配信はこれらの事例とは“似て非なるモノ”だと私は思います。
課金するネットゲームや動画配信アプリはこちらから能動的に使うだけではなく、通知機能や娯楽性を高めることによってどんどんアプリの世界に引きずり込む仕組みにしています。ある意味、ギャンブルの射幸性(しゃこうせい)に通ずるものがあります。つまり、使用している者に”もっと課金しろ!アプリを使え!!”と煽(あお)っているのです。
包丁や車は“私を使って殺人をしろ!”と働きかけはしませんよね?ここが大きな違いだと思います。ネットゲームやアプリは中毒性があり、一旦引きずり込まれると本人の意思だけではなかなか抜け出せません。心身を病むので、それらをやめさせる施設まであるのです。
ネット通販の弊害
「ポチッ」とスマホやパソコンの画面をクリックすると買い物ができる時代です。
自分が欲しいものを検索して見つけて吟味して、よく検討して買っているうちは便利な仕組みですね。ところが“買い物依存症”になって、ストレス発散のツールになってしまうとたちまち諸悪の根源になります。
単身者でパートナーも居ない、となると気付いて止める者も近くにいませんし、クレジットカード会社から延滞金督促の通知が来るまで気付きません。そして気付いたときには「時すでに遅し」、ブラックリストに載って最悪の場合は“自己破産”しなければなりません。
つづく
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