こんにちは。
今日からブログを始めます、「ナカシマ」と申します。
よろしくお願いいたします。
3年前に、脱サラして不動産賃貸業の会社を立ち上げて不動産投資を始めました。
おかげさまで木造や鉄骨造の中古アパート5物件を取得でき、なんとか経営できております。
3年弱の運営経験ですが、決して順風満帆だったわけではなくてそれなりに苦労がありましたので、不動産投資に興味のある方のお役に立つ情報を発信できればと思ったのと、自分自身の備忘録になればと思いブログを書き始めることにしました。
2018年、世間を賑わせた「かぼちゃの馬車事件」や「スルガ銀行事件」によって金融機関の融資が閉まってきたのと、私(弊社)自身の手持ち資金がほぼ無いので今年、来年あたりは現状持っている物件を満室経営して手持ち資金を厚くすることに注力することにします。
そこで「専業大家」兼「家事手伝い」である私は時間を持て余すだろうから今まで培ったノウハウや経験を、アパート経営や起業に興味ある方々に提供できればと思ったのもブログを始める動機付けになりました。
まずは私の自己紹介から始めて7回ほどの連続読み物にしたいと思います。
その後、毎回完結のワンポイントアドバイスのような感じで書いていきたいと考えております。
それでは、始めます。
新卒社会人になった頃
年齢は50代前半で、家族は妻一人、娘二人の四人家族です。それとオスの柴犬(4才)を一匹、飼っています。
岡山県在住で所持している収益物件は現在5物件、すべて岡山市内にあります。
およそ30年のサラリーマン生活は主に産業機械の設計に従事しておりましたが途中、飲食業や物流業、設計請負の個人事業主を経験しました。
新卒でサラリーマン生活を開始してから7年ほど経った頃からなんとなく「勤め人は嫌だな。自分で事業をしたいな」と思うようになり、本屋に行っては自己啓発本を買って読んだりしていました。
中でも印象に残ったのはA.L.ウイリアムズ著、邱 永漢 翻訳の「人生、熱く生きなければ価値がない!」です。
幾度かの引越しと持ち物整理の機会に紛失してしまったのですが、本屋でたまたま手に取ったこの本を読んで「自分は勤め人で一生を終えたくない!」と強く思ったのを今でもはっきりと覚えております。
私は映画やドラマでも熱い主人公に感情移入してしまうタイプなので、すぐに8年ほど勤めた会社を辞め、大阪の親戚宅に居候させてもらいながら飲食店経営を教えてくれる学校に通い始めました。
転職で、転落人生スタート!
ここから私の転落人生が始まります。
大阪の学校を修了後、地元の岡山に帰って3年ほど飲食業で修行しましたがとても成功できるとは思えず、あっさりと方針転換。
とりあえずお金を稼ごうと当時まだ給料の良かった物流業(○○急便)に就職しましたが、私には全く不向きでわずか2カ月で退職。
完全に”転職病”に陥りました。
威勢よく東証1部上場企業を辞めて、結局”失業者”となった私は「一体、何をやっているのだ!」と”超”自己嫌悪。
二週間ほど実家のボロ借家に引きこもり悶々としておりましたが、気を取り直して就職活動を開始し、なんとか工業系のサラリーマンに戻れることになりました。
30代前半だったので、まだやり直しが可能でした。
自宅を購入
同時に、飲食店開業の為に貯めていたお金を頭金にして岡山市郊外に土地と自宅を買いました。
土地52坪1000万円、4DKの木造二階建て1650万円、諸経費を入れると約3000万円、自己資金600万円を引いた残りの2400万円が住宅金融公庫での30年ローンです。
金利はたしか、3.1%でした。
間取りなど設計段階で私の意見を取り入れてもらえて、この楽しかった経験も今の不動産賃貸経営に生きているような気がします。
当時はまだ独身でしたが、ボロ借家で幼少期を過ごした自分としては物心ついた時から自分の土地と家は欲しかったので、まずはその夢をかなえたと言えます。
結婚できました!
自宅には母と二人で住んでいましたが、家を建ててから4年経った頃に今の妻と出会い、結婚。
その頃、私は35才になっており結婚できるかどうか不安だったので、ものすごくうれしかったです。
妻も一才下で初婚だったので、二人で試行錯誤しながらも新婚生活を楽しんでいました。
やがて赤ちゃんも授かることができました。
しかし半年ほど私の母と3人暮らしをしていましたが御多分に漏れず、嫁姑問題で母は妹のところへ出ていくことになりました。
長男である私の兄は遠いところで住んでいますし、皆にとっての最善の解決策をとることにしました。
仕事の話に戻ります。
基本的に一所(ひとところ)に留(とど)まるのが苦手な私はその後も4社ほど会社を変わります。
この記事の冒頭の画像は転職活動中に気を紛らわせるためにプラモデルを製作中の私です。弱い人間なのです。
一方の妻は独身の時から看護師で一つの病院に長く勤めていて給料も順調に上がっていく「優良属性」です。
そしてダブルインカム(共働き)の我が家は、生命保険や医療保険も一般の家庭同様に加入し、家族旅行も年2~3回行き、娘二人を育てながら、それでもまだあった余剰金を三回ほど住宅ローンの繰上げ返済に回しました。
その甲斐あって30年ローンを17年で完済することができました。
2013年頃のことなので、この時に不動産投資を始めていれば今よりもっと資産を築けていたかもしれません。
おっと、歴史に”たら”、”れば”は禁句でしたね。
個人事業主に挑戦
転職がままならない年齢になってきた私はここで「個人事業主」に挑戦します。
それまでのサラリーマン人生で培ってきた産業機械の設計技能には自信があったのですが、いかんせん受注先が知り合いの社長一人のみというのが災いして(仕事が少ない、社長とウマが合わなくなったなど)わずか4カ月で廃業せざるを得なくなり、またもやサラリーマンに返り咲き。
コンクリート二次製品の鉄筋を作る会社で設計したり製造現場で作業したりしましたが、上層部と仕事のことで衝突して二年足らずで退職。
この頃、”50才”という年齢が見えてきた私の履歴書は転職続きで汚れまくっています。
もはや地場(じば)の会社で私の転職を受け入れてくれるところがあるとは思えませんでした。
また20代半ばで発症した両耳の難聴と耳鳴りは良くも悪くもならず今も続いており、右手首痛や痔にも悩まされていて、そうした体の不具合も私と家族の今後に不安を投げかけていました。
「もうこれ以上、サラリーマンは無理だ。不動産賃貸事業を本格的にやるしかない・・・」
また何度も転職を繰り返し、しかもその周期がだんだんと短くなっている私を見て妻がふがいなさを感じているのが手に取るようにわかりました。
子供二人がまだ中学生や高校生だというのに、世帯主がこの体(てい)たらく。
妻と子供が職場や学校に出かけた後にベッドから起き出して洗面所で顔を洗う毎日。
目の前の鏡には“自分の能力を過信して、図に乗っては何度も転職と挫折を繰り返してきた失業者”の情けない姿が映っていました。
つづく
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