テレビドラマ『わたし、定時で帰ります』
テレビ嫌いの私は先月、最終回を迎えたこのドラマを見てはいませんでしたが、今しがたネットニュースでこのドラマに関する記事を読みました。そこで思ったことを記事にしたいと思います。
あらすじとともに就職に関する各世代(バブル世代、就職氷河期世代、プレッシャー世代、ゆとり世代)の解説もあります。
定時で帰ることができない日本の企業
当ブログの「サラリーマン時代のプロフィール」シリーズでも書いているとおり、私は大小織り交ぜて10回ほど転職しています。
「”忍耐強く無い”ことが転職回数の多い原因の最たるものである」と一刀両断されてもしかたのない多さです。
一方で、どうしても納得できなかったことがあったのも事実です。
私自身、海外出張を何度か経験してみて感じたのは、日本は「無駄に残業する」企業が多いです。
「定時」「残業」という単語があること自体、海外では「信じられない!」と驚愕されます。
海外の企業では「定時で帰る」ことが当たり前だからです。
以前の記事「退職理由は課員同士がしゃべらないから」の時のエピソードです。
例によって残業が当たり前の企業でしたし、「”裁量労働制”という名の”サービス残業”やり放題!!」という会社でしたから研究開発職、製造職に関わらず、毎日夜中まで従業員は男女問わず働いていました。
休日出勤も当たり前です。「世界を股にかけるグローバル企業なのになぜ労働環境がこうなの?」と不思議でした。「社長の方針」としか言いようがありません。
そんな会社でしたが私は、自分がこなすべき範ちゅうの仕事が終わり、他の社員にも迷惑が掛からない場合は定時の17時で退社していました。
その様子を見た、課長がある日、定時前に課員全員に「今日はみんな定時で帰るぞう!!」と号令をかけたのです。いかにも私に倣(なら)えと言わんばかりに。
ところが、定時になっても誰も帰ろうとはしませんでした。
急には生活リズムを変えられないのか、新参者である私に対する反発なのか、はたまた特に理由はないのか定かではありませんが、課長の号令は無視されて終わりました。
ちなみに、その後も私は会社に支障が及ばないときは定時で退社しました。
法律も味方ではない
高齢者運転の車で轢かれた死亡事故にしろ、労働基準法違反にしろ、あおり運転での死傷事故にしろ、法律は被害者に寄り添ってくれているでしょうか?
私たち大家業(おおやぎょう)を営む者も、加害者である借家人のほうが法に守られることが多いです。
「弱者を守る法治国家」と言いますが、法は”えせ弱者”を守っているだけに見えます。
こんな日本社会ですから、豪雨災害時だけではなく、「自らの命は自らが守る」意識がこれからの時代は各自が意識する必要があります。
年金もあてにしてはいけません。各自が貯金なり投資で資産を築き、そしてその築き上げた資産を暗躍する詐欺集団に奪い取られないように各自で注意しなければならないのです。
大変な時代です。
本当に必要なお金はいくらですか?
なぜ残業するのでしょうか?
一つには「給料が少ない」があると思います。
長期の住宅ローンを組んでいる家庭はもちろんのこと、”意識高い”系の御家庭でも収入は多いに越したことはないですからね。
ここで考えて欲しいのは、「収入を求めるあまり、心身の健康を害していないか?」ということ。
収入が多ければ多いほど「幸せ」でしょうか?
・「家族」よりも「空気」が住んでいる時間のほうが長い、多額のローンを支払い続けるマイホーム。関連記事「自宅をフル活用する」
・長時間労働がたたって”うつ状態”になった者が、自分の家族に刃物を向ける凄惨(せいさん)な事件。
・スマホ画面を見続ける家族は、”家族同士の会話”よりも”ネット上で繋がっている人と話す(文字や画像でのやりとり)”時間のほうが長い。
今の時代はもしかすると、収入が少なくて家や車、スマホを買えないほうが、かえって幸せを感じることができるのかもしれません。
まとめ
「私たちの生活時間は”有償労働”に偏りすぎていて、人として持つべき家族との時間、地域活動やボランティアを行う時間、余暇の時間が削られているということにも気づかされる」
これは冒頭で紹介した、関連記事での筆者の言葉です。
私は現在、妻の高属性にも助けられて、地方都市で朝夕の飼い犬の散歩や家事を緩(ゆる)くこなす、のんびりした家賃収入のみの生活を送っています。
私ほどのんびりした生活ではないにしても、肉体や精神の健康を害してまで”有償労働”を追い求める必要性も無いのではないでしょうか。
終わり
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