毎日、朝夕の飼い犬(オスの柴犬)の散歩は私の役目です。
デスクワークが多く、セルフでの原状回復工事などがなければほとんど動くことがない私にとっては、とても大事な健康維持のための日課でもあります。
たまに妻や娘が行くこともあります。
我が家の人気者です。
私は基本的に犬が嫌いで、娘二人が小学生のころ「犬を飼いたい!」としつこく言われても頑(かたく)なに拒絶していました。
そのうち、娘たちもあきらめて犬のことは言わなくてなりました。
上の子が中学生になり、近所の犬をかわいがったり妻と娘二人がペットショップに犬を見に行ったりして、また「犬飼いたい!」が始まりました。
この時私はなぜか”飼ってもいいかな”と思っていました。
娘たちが思春期になり動物を飼うのが情操教育にいいと思ったこと、私がまともに働いていなかった(絶賛、失業中でした!)ので負い目を感じていた部分があったことが理由です。
妻がどこかから聞きつけた柴犬専門店に家族全員で行ってみると、ちょうど生後一カ月のかわいい柴犬の赤ちゃんがいました。
愛らしいものですね。私も気に入って、その柴犬を飼うことにしました。
消費税込みで9万円です。血統書付きです
愛され犬
赤ちゃんのうちは室内で飼い、大きくなるにつれて玄関、外と飼う場所が変わっていきました。
4才の今でも冬の寒い日などは、夜は室内に入れてやります。
ドッグフードも、犬を買った店で教えてもらった少し高級なものをずっと使っています。
とにかく家族みんなに愛されています。
フンを処理しない人がいる!
さて近所のかなり広範囲にわたっていくつかの犬の散歩コースがあるわけですが、基本的に犬の気まぐれで行くに任せます。
そこで目にするのが「ザ・犬のフン」です。
はっきり申し上げて、多いです!
普通の飼い主は、スコップと袋を持ち歩いて処理します。
我が家のやり方はスコップを使いません。
小さめのナイロン袋が入ったバッグを持ち歩いていて犬がフンをしたら「ナイロン袋に利き手を入れてフンをつかみ、フンを握ったまま袋の裏表をひっくり返して口を結ぶ」という方法です。
これだとスコップなどの道具は不要で手も汚れずスマートに処理できます。
散歩から戻ったらそのまま外のゴミ箱に捨てて処理終了です。
妻も娘たちもこの方法でやっています。
方法はどれでもよいのですが、フンを放置する飼い主が結構います。
早朝の暗い時間帯に散歩させるのか、放置する現場は目撃したことがありません
いい迷惑
犬のフンを放置する人が多いと、まともに処理している人まで悪い印象を持たれます。
「この辺で犬を飼う人は皆、マナーが悪い」というふうに。
それに犬を飼っていない人もそうですが、飼っている人もあぜ道などで散歩中に放置されたフンを踏んでしまうことがあり困ったことになります。
私は一度、警告の意味で黄色の大きめの付箋(ふせん)を放置されたフンに一枚ずつ置いていったことがあります。
すると、しばらくは収まるのですが「イエローカード作戦」をやめるとまた放置プレイが再開するのです。
小学生の通学路で見守りボランティアをしているおじさんが立て看板を立てたこともあります。
「子供たちの通学路ですよ!いい加減にして下さい!!」と。
この時も、しばらくは収まるのですが時間が経つと再開するのです。
どんな思考回路なのか
まったくもって不思議です。
警告すると一旦は収まるところを見ると「いけないコトである」のはわかっていると思われます。
しかし、再開してまた社会に迷惑をかけ始めるという部分が解(げ)せません。
これは今の日本社会のひとつの特徴なのでしょうか?
下記のように、交通ルールを守らない人たちと同じ心理でしょうか?
・信号が明らかに赤に変わっているのに交差点に突っ込む
・ウインカーを意地でも出さない
・センターラインの無い、狭い道なのにキープレフトではなく真ん中を走り、対向車を困らせる
・近年目立つ「あおり運転」
・道路を渡ろうとしている歩行者がいても止まってあげる車は皆無
「他人がイヤな思いをしても構わない」、「自分さえ良ければいい」、それどころか「他人がイヤな思いをしているかもしれない」というところまで思いを巡らせていない可能性もあります。
現代人は以前より想像することが苦手になっているとよく聞きます。
ネット検索のおかげで、自分の頭で考える、あるいは想像する必要性がないからですかね。
まとめ
よくニュースで殺人事件を報じていて犯人が言っている「刺すのは誰でもよかった」というセリフがありますが、犬のフンを通行する道の上に放置する人も同類の思考回路ではないでしょうか。
大抵の自治体が条例で罰則を定めているはずなので、刑事罰としてしっかり警察が取り締まってほしいです。
終わり
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