パワフル社長との出会い
30代半ばで飲食店経営者になることを断念した私は、工業系サラリーマンに返り咲きました。その時に就職できた地元の中小企業の社長がパワフルな方で、大いに刺激を受けました。
背も高く恰幅(かっぷく)があり、よく怒鳴り、よく笑う。出会った当時、50代半ばだったと思いますが髪は短髪で総白髪でした。御自身が20代前半の時に独立して興した会社で、思い入れも当然強いでしょうし、なにより”真剣に”仕事をしている様子が見てとれました。
最初、この項のタイトルを「パワハラ社長との出会い」にしていたのですが、思い直して「パワフル社長との出会い」に替えました。当時の様子を思い返してみて「今の時代ならあの社長は“パワハラ”に当たるだろうなあ」と思いましたが、いや待てよと。たしかに社員がミスした時やたるんでいる際には大声で叱責(しっせき)されましたが、私はそれらが今でいう「パワーハラスメント」には当たらないと考えます。叱責を受けた社員が苦痛を感じれば「パワハラ」になるのであれば、社員の中には「パワハラに当たる」と断言する人もいるでしょう。大勢の従業員が周りに居てもお構いなしで怒鳴り散らすのですから。
自分を叱ってくれる人は貴重
しかし私はむしろ、社長が本気で叱ってくれてありがたかったくらいでした。30代半ばにして、今一度、ナカシマという人間を社会人として鍛えなおしてくれていると思っていました。
新卒の二十歳で運良く就職できた東証一部上場の大企業を辞して飲食業を目指したけど、自分の考えが甘すぎて断念して、一度、人生を大きくミスったナカシマ。勤め人として、再起を図ろうともがいている私は、なりふり構わず仕事を早く覚えようと必死でした。結婚はしていなかったけど、飲食業の終盤で自宅の土地と建物をローン組んで買っていたので、その支払いもあり昇進や昇給も目指していました。かと言って、社長に媚(こび)を売って気に入られようと考えていたわけではありません。純粋に仕事自体が楽しく、やりがいがあったので自然にがんばっていた結果、それに応じて給料も役職も急速に上がっていっただけです。
「人生の師」との別れ
そうなると、周りの同僚の中には嫉妬や妬みを持つ者も現れます。しかし、そういう同僚も適当にかわし気にせず仕事に邁進していたのですが、あろうことか「人生の師」とまで仰いでいた社長と衝突する時が訪れました。
正確には、私が社長の仕事レベルの高さに付いていけなくなっただけなんですけどね。
それまでとはまったく関係の無い部署に飛ばされ、二年ほど冷や飯を食った(この頃に見合い結婚しました)あと、社長に無礼を詫びて元の部署に戻してもらったのですが、元同僚との関係もギクシャクして結局、退社する羽目になりました。
それから後(のち)、その社長と交わる機会はありません。向こうは会いたいと思っていないかもしれませんが、私は今、ある程度の資産を築けた一つの要因である、この社長にもう一度会って御礼を言いたいと願っています。
不毛な議論や戦いに明け暮れる日本
この会社には都合五年ほど勤めたでしょうか。濃い五年でした。私という人間が「幼少期の貧しさ」の次に強くなれた環境でした。環境というか、パワフルな社長との出会い。
今の時代、何かと言うとすぐに「○○ハラスメント!」と騒ぎ立てますが、この風潮こそが日本国と日本人を弱体化させている根源ではないかとさえ思います。
SNSで、匿名で反論して罵(ののし)り合いをして、なにか得るモノやコトがあるでしょうか?どっちが勝った、負けたと騒いで。思いのたけを吐き出した本人も、スッキリするのは投稿した直後だけで、そのあとは後味が悪いと思いますがどうでしょう?普通の感覚の持ち主なら、あまり気持ちの良い所業とは思えません。
職場でも学校でも、社会の最小単位の家庭内でさえも、誰も叱責や注意やしつけをしない世の中。こんな世の中で、人間が強くなれるわけがないと思うのです。
まとめ
「若い時の苦労は買ってでもしろ」
この諺(ことわざ)を親族から聞かされた現代の若者はどのくらい居るでしょうか?
適度の負荷(つらい経験、苦しい経験)がなければ“強い人間”にはなれません。
私なりのひとつの案ですが、昔のような祖父母と親子三代ひとつ屋根の下で一緒に暮らすようになれば、日本もまだ救われるような気がします。田舎に回帰して、車も老人が危険な運転をするのではなく孫や息子、娘たちがじいちゃんやばあちゃんを買い物の時や、なにかの集会に行く際に送迎してあげる。子供も孫も祖父母の経験談や知恵をナマで聞くことができるし、都会の喧騒に心身を病むことも無い。物価は都会に比べると安く、食材や空気、水は新鮮でおいしい…。
そして、そんな田舎暮らしの中で自分を“強くしてくれる”環境や出会いがあれば最高じゃないでしょうか。リビングのテレビで「カルピス子ども劇場」や「まんが日本昔ばなし」を家族で視聴する日々が戻ってくれば良いのに、と私は本気で思っています。
終わり
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