カシオの電卓

譲り受けた電卓

年季の入った電卓の御紹介です。

私が社会人になって三年目くらいの頃、同じ部署ではないのですが、プロジェクトが一緒で大変お世話になった先輩がくれたものです。

ある時、仕事で電卓を使う場面があって持ち合わせていなかったときに近くの席だった5~6才上の先輩が

「これで良かったら使って。あげるよ」

といって渡してくれたのが、この「カシオ fx-102」でした。

その時は「ありがとうございます、助かります!」と御礼を言って有り難く頂いたのですが若干、古臭くやぼったかったのでそんなに大事には扱っていませんでした。

それなのに譲り受けてから30年経った今でも失くさずにあるということは、よほど縁のある電卓なのかなと思います。

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裏に単三電池を4本入れて使います。

ネットで見てみますと売出価格は、なんと12,500円!

“電卓”ですよ!?

これをくれた先輩は太っ腹!(←先輩も誰かからもらったのかも・・・)

バブル期でしたし!!(←関係ないかも・・・)

発売時期は1976年のようなので、産まれてから42年

経つことになります。

今でも現役で活躍してくれています。

人間と違って、いくら年を取っても計算ミスはないです!

その先輩のことを以下Kさんと呼ぶことにします。

充実した海外出張

私は当時、海外生産拠点の生産設備を供給するための部署にいて一番下っぱでした。

生産設備のメンテナンス部門の中で、海外に出張できる者が選抜された、少数精鋭の部署です。

私より経験も技術も上回る同僚や先輩がいたのですが、

“飛行機に乗るのは怖い”とか”海外の食べ物がたぶん合わない”などの理由で数人が断ったので私に白羽の矢が立ったのです。

私は食べ物の好き嫌いは無いほうですし、会社のお金で海外に行けるのは夢のようだと思っていたクチなのでとてもうれしかったのを覚えています。

今、振り返ってみましても海外なんてそうそう行けるものではないですし、実際、その後プライベートでも仕事でも行けてないですから、当時あちこち海外に行けたのは本当にラッキーでした。

静かに闘志を燃やす

同じ部署の先輩たちが、欧米や台湾、香港に頻繁に出張する背中を見ながら

「私もそのうち海外出張して活躍するぞ」

と目の前の仕事をこなしながら、飛躍する機会を伺っていました。

そんな中、Kさんは北米拠点の生産技術部門の現地責任者としてアメリカはオレゴン州に駐在することになりました。

電卓を頂いたのはその頃です。

ついに来た!

月日が流れ、翌年だったと思います。

私にもついに海外出張のチャンスが訪れてきました!

24才だったと思います。社会人になって4年目です。

まずはオランダに40日。

比較的、簡単な設備改造の仕事です。

当時、日本からオランダへの直行便は無くて、アンカレッジ(アラスカ州)経由で17時間を要しました。

アンカレッジでの給油中に、空港内でカップうどんを食べたのですが日本円で1000円くらいでした!どん兵衛みたいなうどんが一杯1000円です!!

初めての飛行機体験であり、海外だったので刺激だらけの感激だらけでした。

週末は駐在員の先輩たちがドイツやフランスに観光に連れていってくれたり、自宅のパーティに招いてくれたりしてとても充実した”初海外”でした。

この出張を順調にこなした私は数カ月後、北米拠点への半年出張を命ぜられます。

半年と言えば、ほぼ”駐在”です。

オランダではホテル住まいでしたが、北米(オレゴン)ではアパートを借りての生活になります。

そしてその手続きや会社での仕事の進め方など全面的にお世話になったのがKさんです。

決してイケメンというわけではないのですが、明るくて面白くて、後輩の面倒見がいい先輩で、社内で悪く言う人はいませんでした。

見た目や醸し出す雰囲気は、そう、TUBEのボーカル前田亘輝(のぶてる)にそっくりです!

Kさんが日本に居た時は、会社の独身寮が一緒だったので冬はスキーに連れていってくれたりしました。

Kさんに怒られた

そんな優しいKさんですが、やはり海外での責任の重さとストレスもあったのでしょう。

日本に居た時より疲れている感じでした。

少ない日本人駐在員同士の軋轢(あつれき)もあったようです。

Kさんは海外駐在する直前に結婚されて奥さんも駐在に帯同されましたから、現地では奥さんの愚痴も聞いたり大変だったと思います。

そんな中、私が長期出張に来て私の面倒まで見ることになったので私なりにあまりKさんに負担をかけないように仕事でもプライベートでも気を遣ったつもりでした。

大失態

ところが、仕事でヘマをやらかします。

部品を酸洗いした後の塩酸をフタもしないで、作業場に放置してしまったのです。

その作業場は現地の作業員も出入りして使う部屋でケガや病気をしたら、それこそ裁判ざたになるような状況でした。

これを知ったKさんが私のところに血相を変えてやって来て、

「なにしとんじゃ、コラアーーー!!」

とカミナリを落としました。

大目玉を喰らい、大説教を受け、私は平謝りで泣きました。

自分の失態が情けないやら、怒られて悔しいやらもあったのですが、仕事でもプライベートでも尊敬するKさんを怒らせた自分が情けない気持ちが一番だった気がします。

「現地人の責任者に謝ってこい!!」

と最後に怒鳴られて、私はすぐに責任者のところに謝りに行きました。

現地人の製造ライン責任者は、やはり、できた人間で

“もういいよ”と笑って許してくれるのですが私の大粒の涙はしばらく止まりませんでした。

この電卓を使う時は、このような当時の情景が思い浮かんで、ほろ苦い記憶とともに自然に背筋が伸びます。

終わり

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