耳鳴り・難聴は不治の病(前編)

耳の奥でセミが鳴く

20代も中盤に差し掛かった頃、耳の奥でセミが鳴いているような音に気付きました。「キーン」という高い金属音のようでもある、連続音です。

社会人になって4~5年目で、仕事をする上でも脂が乗ってきた頃です。

「これが”耳鳴り”というものかな」と思ったものの、そのうち治るだろうと気にしないようにしていました。

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公私ともに忙しかった

その頃、かなり忙しくしていたのです。少々のことで病院などに行くヒマがないほどでした。

生産設備の保全部門から海外生産拠点のための設備製作・発送およびメンテナンス要員として海外出張にも行き始めていました。

加えて労働組合の職場委員もやっていましたし、会社の夏祭り実行委員や委員長をやったりしていました。主力工場ですから家族含めて1000人規模の大きなものです。芸能人を呼んだこともあります。

プライベートではバイクツーリングの企画、会社のテニス部の合宿に参加と息つくヒマもないほど充実した日々を送っていました。

その忙しさからくるストレスが災いしたのか、吸っていたタバコが原因なのかわかりませんが、とにかく年がら年中、耳の奥でセミが鳴いているのです。

寝ている時以外、ずっと。

そして聞こえが悪くなっていることにも気付きました。

初めの頃は聞こえにくいと聞き返したりしていたのですが、そのうち何度も聞き直すと相手に悪いと思うようになり、はっきり聞き取れていないのにわかったフリをするようになりました。

これは仕事をする上で、かなりのマイナス要素になります。

上からの指示の聞き間違いや間違った認識で仕事を進めるわけですから、周りにも迷惑をかけますし、自分の評価も下がっていきます。

やっと病院に行く

耳鳴り・難聴を認識してから1年ほど経ったときに、有給休暇を取得してまず会社の近くの耳鼻科を受診しました。

鼓膜はキレイだし、外耳や中耳も問題なし。そこで紹介状を書いてもらい大きな病院に行って診てもらいました。

オージオメータで聴力検査すると明らかに聴力は低下していました。その病院では聴力検査をして注射を打たれました。

そして「これでも飲んでみてください」と錠剤を処方されました。

「これを飲んだら治るのですか?」と聞くと「それはわかりません」との返答。なんとも、すっきりしない気持ちで独身寮に帰りました。

言われたとおりに処方された錠剤をきっちりと飲みましたが症状に変化はナシ。

おそらく処方してくれたのはビタミンB12だと思います。耳鳴りに関する本を立ち読みするとビタミンB12が効くとか書いてありましたから。

もしかして治らない病気?!

この時点で私は「耳鳴り・難聴」というものに対して、初めて「畏(おそ)れの念」を抱きました。

その後、社会人で最初に勤めた会社を辞めてからは転職を繰り返す波乱の人生が始まるわけですが、耳鳴り・難聴の症状は良くも悪くもなりませんでした。

もし症状が進んだら私は「ろうあ者」になるのか、口も聞けなくなり「手話」を勉強しないといけなくなるのか、とか心配していました。

喫茶レストランで働いていた頃、ウエイトレスが面白がって手話の真似事を私にして、からかわれていたこともあります。それを聞きつけた社長がウエイトレスに怒ってからかうのをやめさせてくれましたけどね。くやしかったです。

その頃は「若いのに補聴器」なんてとても恥ずかしくて、まだ補聴器をしていなかったです。値段も高そうですし。

飲食業から工業系サラリーマンに返り咲いてからも補聴器は買いませんでした。

つづく

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