宗教は嫌い
宗教はまったくなじめません。
私が幼いころ両親がとある宗教に関わっていた時期があって、よく会合に兄とともに連れていかれたのですがイヤでイヤでしょうがなかったです。
この時間は一体なんなんだ?何の意味があるのかと不思議でしょうがなかったです。
幸いと言ってはなんですが父親の死があり、私も家を建てて引越ししたことを機にこの宗教団体とはきっぱり縁を切ることができました。
その頃のことがトラウマとなり、「宗教」というものに嫌悪感を抱いてしまいました。
私にとって宗教は「浪費」
人生を救うような良い宗教もあり、心底(しんそこ)その宗教に惚れ込んでいる方もいらっしゃるでしょう。
しかし私にはそのような良い経験はありませんし、今後もしたいと思いません。
また投資家目線で見てみると、信者の方々がなにかにつけて宗教側にお金を巻き上げられているように見えてしまいます。
貢(みつ)いでいる信者は、その宗教法人に対して「浪費」していることになります。
片や宗教法人のほうはと言えば「法人」という名の蓑(みの)を被り、税収を逃れて羽振りのいい生活をしている教祖もいらっしゃることでしょう。
先祖は好き
一方で、私は「先祖」は大事にしなければならないと思っております。
先祖は、間違いなく自分を形作ってこの世に産み出してくれた「ルーツ」です。これは誰がなんと言おうと、紛れもない「事実」です。
先祖が居なければ、私は存在できていません。
しかし、宗教の場合は「実体」が見えません。
像や御札(おふだ)を崇(あが)めるだけです。
少々強引ですが、宗教と先祖を投資種類に例えますと「宗教」が「ペーパーアセット(株式、FXなど)や仮想通貨」で、「先祖」が実体のある「不動産投資」になると考えます。
私がリアル投資の「不動産投資」を好きなのも、宗教より先祖のほうが好きだからかもしれません。
永代供養にしました。
お墓が家から1時間ほどのところにあって年4回の墓掃除と墓参りが大変だったので母や兄と相談して、数年前に私が檀家になっている近くのお寺に骨壺を移転しました。
お墓の整理(更地化)、脱魂(だっこん)、永代供養(骨壺ロッカー契約など)で90万円ほどかかりましたが、先を見据えたら良い決断だったと思います。
私の家の和室(←私の法人の本社事務所でもある)には仏間があり、古い仏壇があります。
気が向いたり疲れたりしたら線香に火をつけて手を合わせます。アロマ効果もあります。
先祖が守ってくれている
環境ホルモン、食品添加物、食生活の欧米化など、さまざまな要因が絡み合って治りにくい、あるいは一生治らない難病が近年増えています。
関連記事「怖い!アセスルファムカリウム・スクラロース・アスパルテーム」
また歩道や店舗に突っ込む老人運転の車、無差別殺人、公共交通機関の事故・車両故障など危険が多い世の中になっています。
こんな不安な世の中で宗教にすがる人もいれば、占いや風水に頼る人もいるでしょう。
私が頼りにしているのは「先祖」だけです。
まとめ
収益物件を2年半で5物件も買うことができたのは、いろんな人の協力や私の努力ももちろんありますが、先祖が後押ししてくれたりサポートしてくれたんじゃないかなとも思っています。
輪廻転生(りんねてんしょう)を信じるまではいっていないですが、私も死んだら子孫を天から見守りたいと思います。
終わり
コメントを残す