秋の彼岸を迎えて
先週、妻と義父母(=妻の父母)の墓掃除に行きました。そして、一週間後の昨日は妻と花や菓子を持って、墓参りに行きました。
我が家から片道、車でおよそ一時間。
子供たちが小さい頃は家族四人で行ったものですが、子供たちも高校生になり各自の予定が入る年頃なので、妻と二人で行くことになりました。
妻は日頃、責任ある管理職の勤め人をこなしているので、余力が有る私が当然、運転手になります。
先祖は大事にする
以前の記事「先祖は大切にする」でも書きましたとおり私は、宗教は嫌いですが先祖は敬います。ましてや、最良の伴侶となった妻の御両親の墓参りは特に大切にしたい行事のひとつです。
前日に妻が”しきび”を購入していましたが、花を買っていなかったので、道中の朝市で花を買って行きました。
現地に着いて、妻が花やしきびを”花立て”に生(い)けていきます。
私が菓子や米、果物を御供(おそなえ)していきました。あらかじめ自宅でポリタンクに汲んでおいた水も花立てに入れていきました。
ろうそくに火を点けて、線香に火を移して墓前に供えていき、最後に妻と一緒に合掌しました。
不動産投資が軌道に乗るか不安なまま他界した
義父は四年前の秋に、義母は三年前の秋に、どちらもガンで亡くなりました。
私は御二人とケンカをしたこともありますが、基本的には大好きな人達です。
最愛の妻の親ですから。
年四回の墓参りでは、”我々家族を事故や災難からお守りください”と、天国の義父母にお願いしています。
そして、義父母や御先祖様たちが、本当に私たち家族四人を守ってくれているような気がします。
義父が亡くなる時、私はまだ独学で不動産投資を勉強している最中で、サラリーマンを続ける自信を無くしていた時でした。私は態度や言動に不安や喜びがハッキリと現れるタイプの人間ですから、義父も当時の私を見て不安なまま逝ったと思います。
義母の時は、不動産投資を始めた一年目で中古の木造アパートを二棟買えた頃でした。
私が不動産投資を始めた当初は「サラリーマンをしていれば良いものを」と難色を示していた義母も、我が家での闘病中に車で二棟のアパートを見てもらった後は少し安心したようでした。
ただ、最後まで「事業をがんばってね」とは言ってくれませんでしたが。
先祖をおろそかにしていないでしょうか?
昨今の凄惨(せいさん)な事件や事故。
・義父が小学生の子供を殺した
・自殺願望者をネット上で募って、会った途端に殺した
・あおり運転で停止させてから殴打した
また、不動産投資関連のブログ記事を拝見しますと、明け渡し執行関連で「位牌や遺影、骨壺を置き去りにして失踪していることも多い」とありました。処分できずにいちばん困る残置物だそうです。一昔前までは考えられないことです。
檀家(だんか)になっているお寺があるなら、ロッカー式の永代供養をお願いすれば済むことです。それなりの費用は掛かりますが、親族で分担すれば良いでしょう。ウチ(ナカシマ家)は、数年前にそうしました。
そういうことすらできない親族関係になっているのでしょう。
こういうこと(先祖の供養、墓参り)は、日常生活や仕事、学業以前の問題です。
いつの時代でも“人間として”やらなければならない、最低限度の”義務”です。
奇妙な事件や事故を起こす人、それに巻き込まれる人は多かれ少なかれ、先祖を蔑(ないがし)ろにしているがために災厄(さいやく)から守られていないのではないでしょうか。
家族は社会の最小単位
夫婦の配偶関係や親子・兄弟などの血縁関係によって結ばれた親族関係を基礎にして成立する小集団。社会構成の基本単位。
(広辞苑第六版より引用)
当たり前のことですが、人間社会の中での最小単位が「家族(かぞく)」です。
家族でも”人間関係”ですから、日々、考えのすれ違いや食い違いがあり、煩わしいことも多いのですが、だからと言って容易に”離婚”に舵を切るのでは物事が良い方向に進みません。ある程度、事態を解決する努力は必要です。
このあたりのことは、祖父母とも暮らしていた昔、あるいはヒューマン・ドラマが多く、テレビがお茶の間の娯楽だった昔では自然と身に付いていた事柄が、人間関係が希薄化した今の時代では身に付ける場がありません。
関連記事:テレビドラマ「十字路」
まとめ
墓参りの後は、美味しいラーメンを提供している店で、妻と二人で舌鼓を打ちました。
「娘たちが大きくなったから、これからは新婚当初のように二人でデートできることもあるね」と話しながら帰路につきました。
義父母の墓参りの度(たび)に「妻や娘を幸せにします」と心の中で宣言しています。
この宣言は、自分自身に言い聞かせる意味もあります。
終わり
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